nekonohimomi’s diary

くだらない日常を生きる、それが人生

田舎はお金で何ともならない。

人工透析の母と同居しております。

糖尿病、人工透析を主な医療として受けてます。

母が80才を迎える前は、食事を管理しようと わたしなりに努力してきたが80才に母がなり放置しました。

何も言われなくなり、甘いものや油もの、インスタント食品などをお腹一杯食べるようになった。

 

 

82才位までは、動脈にステントを何本か入れたり白内障の手術とかメンテナンス的な医療行為を受けてご機嫌な毎日でした。

 

わたしの関心は「人はどういう風に衰えていくのか」

衰えの程度によって どういう介護が事が必要か

 

風邪でも便秘、転倒して頭から出血するほどのケガなど

マイナスなアクシデントがあると一時的に介護出来ない程衰える。

要介護の度合いを突き抜ける衰え方だ。

突然介護度合いが重くなる状態をケースワーカーに相談しても否定されたが

この状態が自宅でワンオペ介護者が仕事を続けられない原因の一つだと考える。

良くなる事はないが、比例式のようにきれいな線を描くことなく、

非常に悪くなり、少し持ち直し、これを繰り返していくのだろう。

 

わたしは、自営なので一時的に勤務中に抜け出す事が出来る。

放置した仕事を後回しにしても、支障がない程度に帳尻を合わせてる。

普通の勤め人が同じ事はやれない。

 

介護をお金の力で全力で手抜きする!と常々いってきたが、

ド田舎では、お金の力では何ともならない。

介護システム自体が崩れかかってる。

 

マンパワーの不足

年末の大掃除を家事代行に依頼できません。

ペットシッター行方不明。

訪問看護もよく休む。

 

そして、同居してるなら親の面倒見るのしょうがないよね、という視線。

動物の習性として年取った親の面倒を見るという回路は脳に備わってない。

 

介護も都会のほうが便利だ。

 

民間介護は都会なら、探せばある。

高いなぁーと愚痴をこぼしてもある。

要介護関係なく、介護保険に頼らない実費で依頼を受けてくれる人もいる。

 

田舎は有料の介護自体にお金を出す人がいない為、そういうシステム自体存在しない。

晦日から正月三が日は訪問介護はない。

 

ペットシッターは、一日8000円出して、犬の散歩(20分)猫のトイレ掃除

わたしはいい商売だと思うが需要がない。

年数件では、商売として成立しない。

 

母にショートスティしてもらいたく、話をしているが彼女の同意を得るのに一が月程かかった。

ヘビースモーカーなのでスティ先も難航したが見つかった。

 

 

自宅介護者としての要望。

出張や旅行などのイベントがない時に、一週間ほど預かって欲しい。

家でゆっくりしたい。

わたしの中の人工透析で毎月多額の金銭負担を国にかけているという罪悪感が、ケースワーカーや介護に携わる人に強く要望できなくしている。

 

自己管理が悪く糖尿病を悪化させ

人工透析になり、医療費は無料

毎年の母が使った医療費の合計の通知が来ると生きる意味を考えてしまう。

某氏が「困難な時に、堂々と助けてもらうのが正しい民主主義」と言ってたが

わたしの母含めて透析患者は毎年900万程医療費を当然とは言い難い。

 

自宅介護で、疲れ果てた女性をTVで見るし

老親を公園に置き去り、これもTVでみた。

家庭を持たず子供もいない「わたし」は、どの程度親に人生を消費されてもいいのか?わからない。